オリジナル AI アートに関するブログです.AIアートをつくるときは通常,英語でこまかい記述をプロンプト (呪文) としてあたえますが,そうせずに,みじかい造語や絵文字だけをつかって,AI に自由にアートをつくらせています.
AI アートは既存の膨大な画像をよみこむことによって可能になっていますが, 現代アートのおおくも,マルセル・デュシャンが「泉」に既存の便器を使用して以来, 既存の材料をつかう点で共通しているとおもいます. その点で AI アートは現代アートの延長上にあるといえるのではないでしょうか? 既存の材料の使用が拒否されれば,現代アートも AI アートもなりたたなくなるとおもいます. 一定の配慮は必要ですが,過去のアートなどもふくめた既存の材料が自由につかえるべきだとおもいます.
現代アートのおおくは既存の画像や製品などを材料としています. 現代アートのはじまりとしてマルセル・デュシャンの「泉」がよくとりあげられますが, この作品は既成の便器をつかったものでした. 便器にサインをいれただけのこの作品が現在ではいくつかの美術館に展示されていますが, 最初は展覧会への出品を拒否されたということです.
また,ポップアートの旗手であるアンディ・ウォーホルはキャンベル・スープ缶のような工業製品やマスコミの写真, 広告写真などを題材としていました. 布施英利によればピカソのゲルニカも新聞記事をもとにしたものなので, そういうポップアートにつながっているということです (「わかりたい! 現代アート」).
AI アートは膨大な画像をよみこむことによって可能になっていますが,それはつまり, 既存の材料をつかっているという現代アートの延長上にあるものということになるのではないでしょうか? 既存の材料の使用が拒否されれば,現代アートのおおくもなりたたなくなるとおもいます. AI アート・ソフトの学習データとして勝手に自分のアート画像がつかわれるのを拒否するうごきがありますが, それは人々にアートをみるのを拒否するのと同様の行為であるようにおもえます. 過去のアートなどもふくめた既存の材料を制限なくつかってこそ (ただし著作権への配慮はやはり必要ですが),あたらしい AI アートが可能になるのだとおもいます.